一応ライブドアについては・・・

2006年01月25日 00:41

ようやくスカパーで放送になったルマン×トロア戦松井のゴラッソゴールをみながら。おお、すごっ。


ニュース・メディアはライブドア一色でうんざりしたので、今の気持ちを一応書いておこうと。


腹の立つことは3つ。


①堀江氏の想定外の往生際の悪さ。
②散々持ち上げてきて食い物にしてきたメディアが、いつものごとく、落とす時にはこれが最後とばかりに「回収」にはいること。
③そして、代わり映えの無い映像を永遠と繰り返しタレ流す創造性の無い番組たち。


堀江氏(亡くなられた元幹部の父親が、インタビュアーから促されたのかもしれないが堀江氏のことを「ホリエモン」と呼んでいたのは、ちょっとどうかと思った)のことは、著書も興味無いし読んでもいないからどんな人間か分からないけど、多分「大人」が作った仕組みやたてまえの全てが気に入らなかった人なんだろうな。
だから、あれだけ全てにおいて挑戦的に振舞ったり、「金が人を動かす」というちょっと昔の人が嫌がるフレーズを強調したりして、自ら悪者を演じながら「誰か俺を止めてみろよ」と挑戦状を常に叩きつけながら、誰もが跪いていくのをほくそ笑んで楽しんできた人なんだろう。
非常に純粋な欲望で会社を経営してきただけに、そのパワーは凄かったし、才能もあった。


でも、悪者を演じてきて味方はいないだけに(与党に取り入っても、そもそも与党には敵が多いんだから、役に立たないよね。逆に今回の発覚の致命傷だったとも推測できる)、元々「株式時価総額経営」(って今回初めて知った)なんて自転車操業なわけで、こうなってしまえばあっという間。
「株価」「株主」を強調してきた堀江氏が、最後は全く肝心な「説明責任」を全うできず逮捕されてしまったのは皮肉としかいいようがない。


一番今回の事件で浮き彫りになったのは、外資企業以上に「ハゲタカ」っぷりを発揮したメディア全般じゃないのかね?


あれだけ時代の寵児として持ち上げて、散々ネタにして更に上げて上げて、一気に落とす。
誰もが、この成長企業の歪みに気づいていながら、誰もロクに触れずに良いところ、ネタとして取り上げやすい部分だけを報道して視聴率を取って、一定の評価を与えながら、臆面もなく全否定報道に一変する。
落とす時にはとことん、視聴者がその凋落ぶりに完全に興味を失うまで徹底的に報道する。
ようは、消費者金融的に言えば借りる時は調子よく持ち上げて、高利で貸しながら、時期を見て回収となれば徹底的に、根こそぎうっぱらって終結。
今日あった報道で最悪だったのが、「ヒルズ族から独居房」というテロップを流し、「今は一転、わずか3畳のこのような独居房に・・・」というもの。
本質とは全くかけ離れた、どうでも良い話。ネタ?と呆れてしまう。


そもそも一昨年のプロ野球参入問題の際、メディアは楽天よりライブドアを評価し、市民の好意も報道していたがその際に一番肝心な、そもそもこのライブドアという企業の本質を伝えていなかった。
下世話な話だが、「スポーツによる少年少女の健全な~」ということを参入委員会で議論されている際、ネット界ではライブドアの関連会社がマニア向けのエロゲーを作っていることは周知の事実だったが、そんなことには触れることも無く。
今、散々報道されている「こういう企業だったんですね~」ってことを臆面も無く報道する前に、それを報道してこなかったことを嘆くべきじゃないの?と思う。


そして、どの局も同じVTR、代わり映えのしない内容で番組のほとんどを費やす体たらくぶり。大事なニュースであるから、トップニュースであるべきだが、今日の捜査進展状況など、要点を報道すればもう良いではないか?
なにか肝心なニュースが見逃されたり、重要な問題が報道規制によって隠されているのでは?と疑ってしまいさえする。
結局、メディアにとってはこういう肝心な事件報道さえ「ワイドショー的扱い」なんだなあ。


個人的には堀江氏は嫌いな人種だったが、そういう意味での同情感は禁じえなかった。
そして、出すぎる杭は確実に打たれるんだなあ。

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週末のガンダムと、駒沢苫小牧を思う

2005年08月25日 00:31

色々問題発生、今日まで日記が書けなくて。


少々前のこと。巷では、金曜日から土曜朝にかけてガンダムフィーバーでした。(BS-2にて初代ガンダム映画3部作一挙放送)
私もしっかりDVDに録画。ビデオテープはもはや画像が乱れてきていたところだったので、まさに天からの恵み者。久しぶりにNHKを誉めてあげたい!!



個人的に好きなのはジャブロー。
ああいう秘密基地的なものには子供の頃からの憧れなのでしょうか。
そして戦士達に与えられた一筋の静寂の時間にほっとする。
そこから一気に加速して、7年戦争が終焉に向かっていく戦いの激しさとのコントラストも又劇的。


他にも、部分的に好きなシーンとして。
自分の定まらない気分故、また見合わない処遇への不満から部屋に篭るアムロに対し、ブライト・ノアが2発平手打ちをかます。
「2度もブったな・・・親にだってぶたれたこと無いのに!!」
「殴られもせずに大人になったヤツがどこにいるものか!!(中略)お前ほどの才能のあるヤツなら、シャアさえも超えられると思っていたんだがな!!」
このブライトの「シャア」という一言でハッと気づいて、自分のモヤモヤしていた気持ちにケリをつけ忘れていた悔しさを思い出して、「僕は男なんだな」って気づくシーン。
若くして自分の本意でなく艦長となったブライト。感情的に取った行為かもしれないけれども、ホワイトベースに乗る全員を守る為の大胆な且つ計算ある行動、彼のマネージャーとしての成長も伺わせるシーンだったと思います。


駒沢苫小牧の2年連続夏の甲子園制覇については、イロイロ書きたかったんですが。


今回はほとんどTV観戦もできず、優勝の瞬間は車の中でエンジンを切ってヨメと正座しながらラジオで聞いていました。
白河の関を優勝旗が越えることのなかった昨年夏まで、北国の野球部員にとって甲子園での優勝など現実的な夢では無かったのかもしれない。それが彼らの偉業で現実的なものとなり、且つこの連覇によって、皆が持っていたかもしれない精神的な壁すら取り去ることができたのではないか、と思っていた矢先。



学校側と部員の親の見解が異なっているようですし、正確な情報が無い中、断定的なコメントすることは決して出来ません。
現実的なポイントの一つとしては、明徳義塾の例があったにもかかわらず、高野連への報告が事前に無かったことだとは思います。
しかし、問題となっている「暴力」とされていることの事実関係については、正直本当のところを明らかにすることは、当事者同士の感じ方の問題なので不可能だと思います。




私自身としては、小学校から高校まで、リトル・野球部と続けている中、又学校教育の現場で指導者から体罰を受けることは幾度となくありましたし、されるということは「自分が悪いことをして言い訳が出来ない」状況だったり、「チームに迷惑をかけた」という気持ちから甘んじて受け入れることしか出来なかったし、それを親に言ったとしても「そりゃアンタが悪いからだろ」と一蹴されると思っていたんで、親に言うこともありませんでした。
確かに理不尽だと思うことも時にはありましたが・・・
だからって悔しさが無いわけではなくて、「あいつをいつか見返してやる」「絶対に同じミスはしない」とか怒りを転化させていたと思います。
正直、このニュースを聞いて最初にヨメと語った話しは「先生にぶたれたくらいで何?」って話していた。
(正直、甲子園滞在中も「スリッパでぶたれた」っていうのはなあ・・・)



27歳の若い野球部長が何を持って、何を感じて、その一生徒が「暴力」と表現してしまうものを与えてしまったのか、私達の知るところに明らかになることは無いと思いますが、私は決して動機が「暴力」だったのではなく、「指導」であったのだと、信じたい気分。
もしかしたら、指導者の彼にはブライトがアムロに対して投げかけた、「シャア」というようなキーワードが足りなかったが為に生徒の中で「暴力」として留まってしまったのかもしれない・・・



そして、それは受ける人間が受ければ、先日ジャンクスポーツでバレーボール全日本のセッター竹下が、「体育館の端から端まで殴られましたねー」ってネタにすらなる「厳しさを耐え抜いて今がある自分にとっての、ひとつのエピソード」が、それを聞いている視聴者も「ひどいねー」といいながら誰も問題視しないような出来事が、努力に努力を積み重ねて気づき上げた偉業に、自ら泣きながら泥の壁を築いてフタをするようなことになってしまう今の世代がひたすら悲しい。




決してなんでもかんでも手を上げて指導することはいいことだとは思わない。人間なんだし、言葉で言えばいい。
ただ、若い年代ゆえ、時には効果がある方法として認められないものだろうか?
確かに「指導者」と言われる学校の先生を含めた大人の世代にも、世間の信頼を得られないような様々な事件を起す個人がいたりしていることも、こういった問題を強く問題視せざるを得ない事情もあるだろう。
しかし、仮に「指導」だと思ってやった行為を、すべからく皆から「暴力」という無残な表現をされてマスコミに取上げられてしまう世の中になってしまったら、日本という国は一体どこに向かっていってしまうのだろう、という不安もこみ上げてくるのでした。


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