三原選手について

2006年02月10日 01:09

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色々バタバタしてて、纏めるのに時間が掛かってしまい、全く旬の話題からは外れてしまいましたが。
去年の札幌を締めくくる話題として。←今更かい!!
(書いていて、なんだかここhttp://www.2002world.com/column/sapporo_m/sapporo_m.htmlの有名な方の話と似てきてしまった・・・)



三原選手、FC琉球へ。
http://consadole-sapporo.jp/news/tp1841.html


いいチームにいったなあ。
JFL昇格したばかりの若いチームで彼の経験も生きるだろうし、沖縄は暖かいので、古傷にも多少良い影響もあるでしょう。
是非とも正確なキックという武器を、フルシーズン通していかした彼らしい活躍をして欲しいなあ、と願っております。


個人的には最初03年の大宮公園で初めて観た時、完全にチームの攻守に関われず、スタミナに乏しいプレーを見て「しょーもない選手とったなぁ・・・」という印象のまま暫くが過ぎていきました。


私は03年版のレプリカに、当時怪我で離脱していた酒井(引退)選手が好きだったので背番号は7番を入れていました。04年から三原選手がその7番をつけることになった。
つまらないことだけれども、そこから少しづつ親近感がわいていった。


04年チーム始動直後に和波が神戸へ移籍したことで、本職ではないながら左サイドでのポジションで開幕から出場、突破力は無いけれども落ち着いてボール回ししながらスルーパスで打開したり、時には誰も触れないw鋭い曲がりのキックを持つなど、左ききっていうこともあり、個人的には好きなプレースタイルの選手だったんだな、と理解し、期待を膨らましていました。


いいスタートを切ったな、と思ってすぐの4節。
湘南戦で相手選手との接触で崩れるように倒れ、もんどりうちながら自ら×を出して交代、診断の結果左ひざ前十字靭帯断裂 及び 外側側副靭帯損傷全治9ヶ月、その試合現地で観戦しておりましたが、目の前の惨事にショックのあまりその後の試合の内容をほとんど記憶が無かったほどでした。


その後、05年から札幌の「10番」を背負うことになった彼の怪我からの復帰を心待ちにしているある日、とある札幌にいる友人とメールのやり取りをしていたところ「札幌の三原くんと知り合いになったよ」とのこと。
その友人は札幌の試合を何度か観に行ったことはあるものの、基本的には誘われれば観に行く程度の感じなので、とある場所で三原選手を紹介され、話しているうちにサッカー選手だと判ったという感じだったらしい。



その後、他の選手も交えて鍋パーティをやりましたとか、ゴルフに一緒に行ったとか、ファンとしてはなんとも羨ましい話を聞いていたのですが、よーく考えれば選手達も普通の青年(もっとよく考えれば、札幌の選手全員年下なわけで、且つ社会人的に言えば「若造」の部類だw)なわけで、当然ながら僕らと変わらない普通の生活もしているわけで。
その友人も「サッカー選手」としてではなく、普通に「一人の友人」として付き合っていたし、そこで耳にする話は、ごく普通の「友人との出来事」。それは当たり前な話。


そういったやり取りを耳にいれながら、ふと思ったこと。
ファンとして選手に思い入れのある自分だったら、選手と普通の感覚でそういう付き合いが出来るのかなあ、ということ。




ちょっと話はわき道にそれるけれども、私のとある営業先の方が、とあるチームのゴール裏で活動されている方で。
年末にお邪魔した際に「今年の札幌は~」「着実に成長してますよね~」なんて話をしながら、その方が
「でも、まだうちのチームの選手はプロ意識低いですよ。こないだ関係者からこんな話を聞きましてね~」
内容は、試合だか練習の前日に寮生をキャバクラに連れて行って、門限過ぎてそれがばれてサテライトに落ちてしまった、誘った選手は寮では無かったので、ばれなかった、とかいう話。さすが随分濃い話を知っているなあと。それで「でも、○○選手なんかは体のメンテナンスとかしっかりやっているし、選手によって差がありますよね」
なるほどなるほど。
「あ、そういえば今度その○○選手と飲みにいくんですよね」「一応、サポーター数人で激励ってことで」
へ~。ん~・・・
選手の方って、ファンがファンの格好をして完全プライベートでこういう交流をするのってどう思うもんなんだろう?と何事も考えすぎてしまう私は思ってしまうわけで(ただ、この営業先の方はその選手の出身高のサッカー部大先輩っつうことなのだった)。
それもまあ良し悪しは選手のタイプによるだろうし、いやいやそれが励みになるっていう選手だって多いだろう。本気で選手だっていやなら行かないだろうしね。
でもなんだかそういうのに一歩躊躇ってしまう私。
だからこそ、三原選手(以外にも多種の人物との出会いの多い方なんで、余計)と、自然とそういう出会いがあった私の友人はうらやましいなあ、と思うわけです。





話は戻って。
そして今シーズン、中盤戦で涙の復帰を果たしたものの、本職のボランチでは鈴木・金子・田畑が凌ぎを削っており、左サイドは和波の定位置。結果上里が同じようなケガでの離脱となり、慣れないトップ下での起用となりました。
終盤、思うように結果が出ずそして迎えた最終戦。
既にゼロ円提示の噂の上がっていた中、彼はラスト15分、短いながらも印象深い出場機会が与えられました。そして忘れることの出来ない、手製Tシャツでのサンクスウォーク。
3年という短い間ながら、ケガで十分な働きが出来なかった自分に尚期待し、暖かく見守ってくれた札幌のファン、札幌の地を本気で愛してくれていたんだな、ということが一瞬で感じ取ることが出来て、嬉しくて仕方ありませんでした。そしてチームを出ることになっても、感謝を忘れない彼の強さに感動しました。



そして暫く後、友人から「三原くんから札幌を離れることになった、と連絡がありました」と、既に新聞発表後でしたが連絡がありました。
自分的には全く接点が無かったわけですが、友人を通して非常に親近感の持てる選手の一人であった為、今回の戦力外通告は特に重く感じてしまった。
友人としての三原選手について、耳にする「人柄の良さ」は、噂どおり、見た目どおりだった。
でも、プロサッカー選手としての彼は戦力・チーム内のポジションの中で厳しく「評価」され、時に自分の「居場所」を失ってしまう。

 
それ故に、彼のサッカー人としての新しい居場所が見つかったことは、とても嬉しいニュースだった。
唯一、今期の札幌の戦力外選手の中で行き先が出てなかった選手でもあったこともあり、本当に良かった。


ただ。
プロのサッカー選手は特に短い選手生命だし、明日の居場所も判らない職業。
でも、三原選手のように転々と移籍を繰り返しながらも、その人柄を持って彼は全国に自分の居場所を増やしていっているんじゃないか、と思えます。
そう考えると、選手生活としては辛いだろうけれど、それも一つの幸せなサッカーライフのあり方なんじゃないかな、
と思えてなりません。これは三原選手に失礼な表現かもしれないけれど。



この文を書いている間に、その友人より「三原くんが琉球に決まった!と友達からのメールで知りました。電話したら「J2の下だけど、プロとしてできるから良かった」って言ってました。」
直接の縁ではないのですが、そんなわけでこれからも三原選手を追っていこうと思った次第!!

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