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はじまりの雨と、別れの雨と

2005年09月26日 23:25

約14年前。

実家が引越しをして、今の実家に移った時。
強い雨が降っていたのが印象に残っています。
そして、24日土曜日。
実家を旅立つ時、やはり雨が降っていました。


節目の雨。


そういえば札幌での結婚式もどしゃぶりだったなあ。


私の実家の家族は、私と姉が12日、祖母が18日、父が24日
と、9月は誕生日ラッシュです。
今は日本にいない姉は別として、9月は祝うことが多くって賑やかな月だ、と幼い頃からずーっと感じていました。
ただ、今年は9月中、一度も祝い事らしきものを行うことなく過ぎました。


24日を回ってすぐ、祖母が亡くなりました。


6月の私の結婚式を楽しみに、祖母は私がお願いした詩吟を結婚の報告をした昨年から、練習してくれていました。
既に87歳、数年前に詩吟教室は辞めていますが、一応師範の資格をもっています。
最初は失敗するのがイヤで、やるのを嫌がったのですが強く私がお願いした後は、楽しく練習してくれていたようです。
私や母が聞いてあげたりもしました。
87歳とはいえ、足が若干悪いものの家の中では素早く歩き回るし、
クロスワードパズルをやったり、早口でおしゃべりをしたり、夜は巨人戦をみながら
ビールを飲んで・・・


結婚式もまじかになった5月終わり頃から、胃の調子があまりよくない、と言っていましたがあまり気にかけていませんでした。
結婚式の2週間前、実家へ遊びに行った時に相当に苦しかったようで、私が車を出して病院へ連れて行きました。
入院すべきだという結論に、私は愕然としました。祖母のショックも大きかったようです。
結局結婚式の1週間前に入院。それでも直前まで一緒にビールを飲んでました。


祖母は、昔の人。我慢します。そして、他人に迷惑をかけるのが許せない人。
私の結婚式も近づいていることもあり、私の来て欲しいという気持ちと、入院して迷惑をかけたくないが為に病院を避けていたのではないか。
結果、それが手遅れになった感もあり、いいようのない絶望感と、責任すら感じます。


結婚式後はなんとか2週に一回はお見舞いに行っておりましたが幾たびに悪化する病状の中、光を見出すことは困難で、正直そんな姿を見たくなくて。
それでも苦しそうにしながらも、見舞いに行けば、ゆっくりと、こちらの話しに応えてくれました。
それも序序に、弱弱しくなって。


先週見舞いに行った時。
もう、前のように会話のできる状態では無いことがはっきりわかりました。
しかし、話しかけても反応の無いまま、1時間弱病室にいて帰ろうとした最後、突然一言こういいました。
「こんなところにいつまでもいてもしょうがない(帰りなさい)」


お見舞いに行くと、いつも「早く帰らないと道が混む」とか、「疲れてるだろうから、もう帰ったほうがいい」
と、必ずこちらに気をかけてくれていました。
聞いたところによると、主治医の先生や看護婦にもいつも「お疲れでないですか」と声を掛けていたようで、
そもそも私も32年間、祖母からあれやこれや気にかけて貰って、ここまできました。
一人暮らしを始めてからは、毎週のように電話をかけてきては「車の運転」「お金」「酒」w「女」wと 同じことを繰言のように言われ、その度に「しつこい」「うるさい」とキレてました。
昨年結婚することを告げた後は、「女」の部分が消えてw少し安心させられましたがその他は入院してからも言われていました。
本当に、気遣いの人でした。


そして


祖母は、私と姉の誕生日、自分の米寿、最後に父の誕生日を見届けてすぐ、亡くなりました。
最後まで、私達に気遣いをしてくれたのでした。


通夜・告別式の間、ずっと思い出を反芻していました。
今年は祖父と3人で花見に行ったり、車に載せてドライブに行ったり、
なんだか私としても予感があったのか、妙に一緒にいたな、と思っております。
それでも、「もっと色んな話しをしたかった」とか「もっと優しくしてあげれば良かった」とかそういう思いは留まることなく湧いて出てきて、悔しさと情けなさが一層強くなります。
でも、いくら「うるさい」といわれても、最後まで「気遣い」を忘れなかった祖母からは、自分の身の回りにいる多くの大事な人に対して、いつも正直に、ちゃんと気持ちを伝えていく、そして時間は決して無限ではないことを知っておく大事さを学ばせて貰いました。


私は祖母はいつまでも「そこにいる人」だと思って接していた。それは大きな間違いだった。



まるで「北の国から」の草太兄ちゃんの回の時のような話ですが、祖母は私の結婚式で歌う詩吟の練習をテープで取っており、その際に、歌う前の挨拶から練習していたので、その時の模様が丸々テープで残っている。
暫く気持ちの整理が出来るまで、聞くことができそうもありません。


でも出来れば早く、また声を聞きたいです。


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正直、あっという間の通夜と告別式でした。
もともと状態も悪かったので、覚悟は出来ていた分、
亡くなった時点でのショックは思ったより小さかったのでした。
今日から通常出社し、無理矢理日常に戻され、普通に生活している自分にびっくりしました。
でも、全ての感情は土日の間に吐き出してしまったからだと思ってます。

色んな感情もありますが、それを心に留めつつ、日常にちゃんと戻っていこうと思ってます。
万博の続きも思い出だし、また書こー!。


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