「家族」ということ

2015年04月21日 22:14

あー、先週来プライベートで色んなことがありまして。
ほぼ欠かさず書いてきたコンサの試合レビューも手にかかれず。
ただこのブログは基本普通の自分用日記のつもりなので、
このことだけは絶対書き残しておきたくて。

実は先週会社に激震が走り、その影響で急遽週末本社会議に。
一方で95歳になる祖父が年初来食事を取れない状態になり入院、
退院後も薬も効かず、治療も限界。施設で栄養の点滴を受ける
のみになりもう長くないと聞いており、土曜も東京にステイして
約5年振りに祖父に会いに行くことにしました。

祖父は実家で一緒に暮らしていたのですが、祖母が亡くなり
急に痴呆が進み、両親も負担が大きく7年前から施設に入って
いました。その頃にはもう私が行ってももう誰だか分からない
状態で、いや、暫くすると両親ですら誰だか理解出来てなかった。

金曜深夜に実家に帰宅し、土曜午前中に施設にお見舞いに行く
つもりではいたのだが、夜中に施設より「熱が上がり危険な状況」
との連絡があり、親に6時に叩き起こされ8時前には施設に到着。
5年ぶりにあった祖父はベッドで目も開けず、酸素マスクを付け
苦しそうに口を大きく開けて手足を動かす祖父に会いました。

1月から点滴のみで何も食べていない、どころか両親と叔母が
医師と相談し、月曜からは点滴も外したとのこと。
要は、そういうことです。

ただ、医師の話では
「手足を動かすのは苦しい訳でなく、夢の中にいる様な状態なんです」
とのことで、少しだけほっとしました。

幸い上がった熱も下がっており、結局昼近くまで病室にいました。
容態に変化は無く、合流した叔母と一緒に近くで昼飯を食べた後
予定通り空港に向かいました。
空港に着く少し前に実家に着いたばかりの両親より着信。
「施設より連絡あり、さっき亡くなった」と。

明けて月曜日に午前中仕事をし、東京にトンボ返りして通夜には
出れたのですが、会社は会社で大変な状況の為今日はどうしても
札幌に戻らなければならず、仕方なく告別式は諦め朝一の飛行機で
帰りました。

会社の事情が無ければ亡くなる前に祖父の顔を見ることは
適わなかったので、何とも複雑な思いではあります。
このタイミングで祖父に会えたのは奇跡的であり、通夜に参列頂いた
方々から「あなたを待ってたんだね」と声を掛けて頂きました。
ただこちらにも事情はありましたが、薄情にも施設に入ってからは
1度しか会いに行かなかった私を、祖父が「待っていた」などとは
思うことは出来ませんでした。

非常に気難しい一面があり、亡くなった祖母も両親も祖父のこと
では色々苦労していましたし、私も自宅で一緒に生活していた時は
今思い出しても決して仲が良かった、などとは言えません。

ただ、これだけ長い間縁遠い生活をしていながらも、奇跡的にも
こういう巡りあわせで会えたことで
「やっぱ家族なんだな」
ということを強く感じた、そんなこの数日でした。

じいちゃん、ごめん。そしてありがとう。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://saptok.blog12.fc2.com/tb.php/840-a330cca0
    この記事へのトラックバック


    最近の記事